平清盛 第30話
1161年、崇徳上皇(井浦新)は配流先の讃岐で静かに悔恨の日々を暮らしていた。崇徳の弟・後白河上皇(松田翔太)は滋子(成海璃子)との間に憲仁(のりひと)親王をもうけていた。 清盛(松山ケンイチ)の命により、兎丸(加藤浩次・・・
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1161年、崇徳上皇(井浦新)は配流先の讃岐で静かに悔恨の日々を暮らしていた。崇徳の弟・後白河上皇(松田翔太)は滋子(成海璃子)との間に憲仁(のりひと)親王をもうけていた。 清盛(松山ケンイチ)の命により、兎丸(加藤浩次・・・
1160(永暦元)年、平清盛(松山ケンイチ)はついに公卿(くぎょう)の座にのぼった。それは武士として誰もなしえなかった偉業であった。新しい世の始まりは清盛と後白河上皇(松田翔太)の長い双六遊びの新たなる始まりでもあった。・・・
1159年12月、源義朝(玉木宏)は軍勢を失い、三人の息子ら数人と東国へ落ちのびようとしていた。しかし山中で三男の頼朝(中川大志)がはぐれてしまう。一方、謀反の首謀者である藤原信頼(塚地武雅)は後白河上皇(松田翔太)を頼・・・
源義朝(玉木宏)の挙兵を知って、京に戻った平清盛(松山ケンイチ)は、信西(阿部サダヲ)の死を知り、怒りに震えた。1159(平治元)年12月18日、清盛邸では一門が戦いの予感に身構えた。しかし、清盛は性急に動こうとしないば・・・
1159(平治元)年12月9日、これまで信西(阿部サダヲ)に冷遇されていた義朝(玉木宏)が、後白河上皇(松田翔太)の側近・信頼(塚地武雅)らと結託し、ついに決起する。世にいう「平治の乱」のはじまりである。三条殿にいた後白・・・
1159(保元4)年2月、後白河上皇(松山ケンイチ)の姉・統子(むねこ)内親王(愛原実花)が上西門(じょうさいもんいん)という院号を授かり、源頼朝(中川大志)は蔵人に取り立てられる。病床の母・由良御前(田中麗奈)はその知・・・
1156(保元元)年7月、讃岐へ流罪となった崇徳上皇(井浦新)はひっそりと京を離れた。その姿をかつて崇徳上皇と親交のあった西行(藤木直人)が見送っていた。保元の乱の敗者たちが一掃され、後白河天皇(松田翔太)のもとで実権を・・・
信西(阿部サダヲ)は清盛(松山ケンイチ)に叔父・忠正(豊原功補)の処分は死罪だと告げた。動揺して必死にあらがう清盛だが信西には通じない。清盛は平氏の後ろ盾となってくれていた藤原家成の息子・成親(吉沢悠)にとりなしを頼むが・・・
保元の乱で負けた崇徳上皇(井浦新)方はちりぢりになる。左大臣・藤原頼長(山本耕史)は、逃げる途中で追っ手の矢により重傷を負う。崇徳上皇はあてもなく山をさまよい、やがて近臣・藤原教長(矢島健一)と二人きりになると、何一つ思・・・
1156年(保元元年)7月10日深夜、ついに戦いの火ぶたが切られようとしていた。後白河天皇(松田翔太)方には平清盛(松山ケンイチ)以下300騎、源義朝(玉木宏)以下200騎などが陣をおく高松殿に集結。同じころ源為義(小日・・・
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