平清盛 第20話
1156年(保元元年)7月2日、鳥羽法皇(三上博史)が崩御した。あわただしく人が行きかう鳥羽院御所の門前には西行(藤木直人)の姿もあった。手をあわせる西行に平清盛(松山ケンイチ)は戦になると告げる。失脚の憂き目にあった左・・・
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1156年(保元元年)7月2日、鳥羽法皇(三上博史)が崩御した。あわただしく人が行きかう鳥羽院御所の門前には西行(藤木直人)の姿もあった。手をあわせる西行に平清盛(松山ケンイチ)は戦になると告げる。失脚の憂き目にあった左・・・
誰も予想していなかった後白河天皇(松田翔太)が誕生し、朝廷は大騒ぎになる。後白河天皇の乳父(めのと)である信西(阿部サダヲ)はにわかに朝廷内で存在感を増していく。そんな波乱の始まりに、平清盛(松山ケンイチ)は不安を抱く。・・・
1154年、近衛天皇(北村匠海)の容体がいよいよ深刻になってきた。母・美福門院得子(松雪泰子)は、一心不乱に祈とうする日々。父・鳥羽院(三上博史)は、崇徳院(井浦新)を遠ざけてきたことの報いではないかと、わが行いを省みる・・・
平忠盛(中井貴一)がこの世を去り、清盛(松山ケンイチ)が正式に平氏の棟梁となった。清盛は忠盛の館に移り住む。その館に一族郎党が集まり、清盛は「亡き父上の固き志を継ぎ、武士の世を目指す!」と宣言する。棟梁の仕事は多岐にわた・・・
源氏の棟りょう・為義(小日向文世)は摂政・藤原忠通(堀部圭亮)邸を襲撃し、藤原氏の長者の証である家宝・朱器台盤(しゅきだいばん)を奪う。為義に命じたのは、忠通の父・藤原忠実(國村隼)。次男の左大臣・頼長(山本耕史)を氏の・・・
1149年3月、熊野詣の帰途に落馬した家盛(大東駿介)は、そのまま帰らぬ人となった。宗子(和久井映見)は悲しみのあまりとり乱し、忠正(豊原功補)は家盛が死んだのは清盛(松山ケンイチ)が神輿(しんよ)を射た報いであり、「お・・・
祇園事件から釈放された清盛(松山ケンイチ)を待っていたのは、厳しい表情の弟・家盛(大東駿介)だった。清盛について悩む母・宗子(和久井映見)を見かねた家盛は、祇園事件での兄の行動は嫡男にふさわしくない、自らが平氏の跡継ぎに・・・
1147年、一門の繁栄祈願のため祇園社(現・八坂神社)を訪れていた清盛(松山ケンイチ)たちは、僧兵に武装したままの参詣をとがめられ、大乱闘を起こしてしまう。これが平氏一門の存続を揺るがす大事件・祇園社の争いの始まりだった・・・
京では、朝廷に不満を持った僧侶たちが、武装をして神輿(しんよ・みこし)を担いで訴える強訴(ごうそ)がますます盛んになっていた。平氏一門は武力と財力で僧兵らを退け、鳥羽院(三上博史)の期待に応え続けても、忠盛(中井貴一)が・・・
内裏に呼ばれた平清盛(松山ケンイチ)は崇徳天皇(井浦新)に、佐藤義清(藤木直人)が出家した際に詠んだ歌を伝える。清盛は崇徳帝と同じく白河院(伊東四朗)の血をひく宿命を背負ったが、自分なりに面白く生きていくと告げる。114・・・
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